Black-indie! 公式『安田淳一監督/制作チームのブログ』です。
このブログに関するに関するお問い合せは、
お問い合せフォームよりどうぞ。
大晦日、昼下がりの公園で。
なんですか、もう二月ですか!?
昨年末より鹿児島のドキュメンタリー製作、三重県でのイベントの仕事が重なり年末年始と編集やら頚椎ヘルニアやら風邪やらなんやらで、バタバタと悶絶しているうちに、いつのまにか世間は二月の声を聞いていたのですね・・・。
そう言えば、あけましておめでとうございます。
皆様今年もよろしくお願いします。
今更ですが、昨年末のコミオデでは面談させて頂いた役者さん達と話すうち涙腺も緩くなってしまったのはトシのせいだけではありません。
ああ、参加してヨカッタと感慨にふけるのもつかの間、その後末弟いたのは頚椎ヘルニアによる肩の痛みと、撮影の仕事の合間を縫ってのオーデション選考作業、そして数百人に及ぶ役者さんたちへの連絡事務。
事務作業などとは、なるべく距離を置きたい。できるなら係わり合いを持ちたくない。
そんな青春時代を過ごした結果、現在の仕事を選んだ僕ですが、請求書を書くという経営者にとってかなり重要な事務作業でさえかなりの遅延と苦痛を伴うその僕が、ここにきて人生でもっとも過酷でややこしい事務作業を経験しようとは。
クリスマスもヘッタクレもありません。
メールが返ってきたり、電話連絡がつかなかったりと、ヤキモキする日々。
あの日々を僕はブラッククリスマスと呼ぶことにしました。
そんな12月30日。
名古屋から岩松監督と今井カメラマンが遊びに来てくれました。
映画談義に咲くオヤジ花。
年の暮れの大掃除など忘れ不良中年達。
結局お二人はウチにお泊り。
翌日はふと思い立ち、映画撮影のための候補に上がっているカメラのテストをする事になりました。
モデルは岩松監督。
カメラマンは今井氏と僕。
公園でキャアキャアと騒ぐオヤジ三人組。
子供たちが寄ってきました。
「何してんの?」
僕は答えます。
「テレビの撮影やで」
「すごいな〜!」
子供に夢を与えてあげました。
僕は自分をブラックサンタと名づけ…
寒風吹きすさぶ昼下がり、鼻水をたらしながら進む撮影。
僕は密かに「これでメイキング映像の今月分のノルマをクリヤや〜」とほくそ笑んでいたのです。
翌日からの正月三が日、僕は風邪で寝込みました。
「悪い事はできないなぁ。ブラック正月や」
天井を眺めながらつぶやいてみたのでした。
この時のテスト結果は↓を参照ください。
http://www.youtube.com/watch?v=WipFpsWq1bo世界は狭い
二週間ほど前5DMark2用の撮影補助器具をテストした。
僕は「拳銃と目玉焼」の製作を、監督がカメラマンを兼ねる自主映画独特のスタイルの集大成として考えているので、機材オタクという風評は気にせず今回も映画にハード面からアプローチするのである。
一眼レフの5DMark2。
当たり前だが、動画撮影カメラとしては最悪に使いづらいのである。
使いづらいが、たった30万円程度のボディで被写界深度の浅い高品質な映像が撮れると言う事で、これまで同じ品質を得るためには数千万円のカメラ(最低でも数百万円RED ONE)の使用を常識としていた動画業界にショックを与えたという件については前回書いた通り。
TOYOTAのCMに使われたとか、旅番組のメインカメラとして採用されただとか、最近もその動画機能の実力を示す例は枚挙にいとまがない。
CANONにしてみればライブビューの副産物としてオマケ程度に追加した機能が動画のプロに熱烈に評価されたのは計算外だったのだろう。
当初動画撮影機能はフルオートのみで、カメラマン達は絞りを開いて被写界深度を浅く設定するためにレンズの前にNDフィルターを何枚もつけて無理矢理画を作るような実験的なあけくれであった。
6月にはユーザーからの要望にこたえる形で動画のマニュアル機能を追加したファームアップによって、やっと動画の仕事で使える道具となったのである。
と言っても形はまんま一眼レフである。
一瞬を切り取るのには充分な形状でも、一定時間以上の安定した撮影を行うにはカナシイ有様なのだ。
またナーバスすぎてカメラマンに必要以上の緊張をもたらすフォーカスのフォロー操作もいかがなものか。
まぁ、出自を異にするので仕方ない。
そこで海外のサードパーティー数社が5DMark2をムービーカメラに変身させるデバイスを売り出した。
Redrock Micro、Zacuto、CAVISION。
と言うわけで全部揃えるともう一台本体とレンズが買えてしまうという理解不能の高価格設定のRedrock Micro、Zacutoは圏外、庶民派CAVISIONのアダプターをテスト購入してみた。
CAVISIONと合体すると5DMark2は確かに動画カメラの風情である。
なんか犬っぽいフォルムだけど、これならお客さんの前でも使える大仰さも感じる。
構えてみるとザ・安定感である。
一眼レフ時代とは雲泥の差、どころか業務用ビデオカメラのCanon XLH1やSONY PMW-EX3あたりを凌駕する撮影者との一体感。
良い。
そしてフォローフォーカスも「被写界深度を浅くすると難しい」という根本的な難易度の高さは残るものの、EFレンズをマニュアルで操作するフニャフニャ感を一掃する頼もしい操作感であった。
使える。
ありがとう庶民の味方CAVISION。
賢い犬だ。
で、話は唐突だけど5DMark2のもうひとつの弱点である音声収録の克服へと向かう。
そもそも音声収録をh.264で収録する点については異論もあろう。
映像は5Dで、音声はフィールドレコーダーでと言う運用もあるが、「身軽な現場」を標榜する僕にとって同時収録の可能性は追い求めたいところ。
5DMark2はかろうじて3.5mmジャックによる外部入力は可能だけど、いかんせんAGCである。
AGCとはオートゲインコントロールであって、「カメラが勝手に音量レベルを調整しますよ、何か?」と言う音声収録の束縛なのである。
セリフや大きな現場音のない静かな局面でAGCはヒタヒタと、しかし確実にゲインを上げて来る。
やがてそれは明確なサーーーーーーーーッという焦燥感を煽る効果音のようなヒスノイズとなって傷跡を残す。
要約するとAGCとは「無音シーンに音響効果を入れる機能」と言うことになる。
なんだそりゃ。
また海外のサードパーティーが手を上げた。
Beachteck。
DXA-5Dというデバイスは5DMark2の片方のチャンネルに人の耳には聞こえにくい20000ヘルツの音域にあえてノイズを出力する事によってAGCをだましてゲインアップを抑える仕組みを持つ。
20000ヘルツのノイズそのものは編集ソフトのイコライザ機能で簡単に抜くこともできる。
毒をもって毒を制す。
と言うことなのか?
CAVISIONのショルダーパッドに乗っているのがDXA-5Dである。
こちらはまだテスト中。
5DMark2による音声収録については、別の解決方法もある。
いわゆるハックファームである。
イギリスのハドソンさんが開発したMagiclanternという5DMark2用ファームウェアは、5DMark2のAGCをOFFに出来るばかりか、音量レベルメーターやゼブラまで表示できるようになる。
インストールしてテストしてみたが、電源オンのたびに5Dの設定画面でファームアップ作業を行わなければならない、設定した項目が電源OFFのたびにリセットされてしまう等、まだ使いにくい散見されるが、目的のAGCの息の根は止めてくれる。
素晴らしい。
ユーザーが望んでCanonが無視している事を、一民間人がやったという心意気に非常に感激したので30ドルをカンパしておいた。
すると二週間ほどして日本語でメールがきた。
「あなたの30ドルをありがたく思います。私と妻は日本で数年間暮らしていました。このメールは妻によって日本語で書かれています。イギリスで生まれたファームウェアが5DMark2の生まれた日本で使われる事に不思議で嬉しい気持ちです。」
とあった。
世界は狭い、地球を大事にしよう。
と思った。
※画像のモデルは音声収録スタッフの櫻井氏。
ガンダムとやけっぱちリアリズム
|  | |
8/17。
埼玉のイベントの仕事を終えた僕は、お台場へと向かっていた。
京都への帰りがけの駄賃にガンダムを見るためだ。
はじめて奴を眼にしたのはお台場を望むレインボーブリッジを渡っている時だった。
うっそうと茂る木々の間から、巨大な白い人影に、僕は思わず笑ってしまった。
あんなもの本気で作ってしまった大人達、それをまた必死で見に行く大人達。
ほんとに馬鹿馬鹿しくも、愛すべき大人達よ。
なのだ。
数キロ先の巨大な人型ロボットなど見た経験のない僕の距離感は戸惑い、50m先の原っぱにたたずむランドセルを背負った白いステテコ姿のオッサンに見せた。
やっと空車の表示を見つけて、イベントに使った機材を満載してヨロヨロのバンを滑り込ませた午後一時すぎ、僕はカメラを手にガンダムの立つお台場潮風公園へと急いだ。
会場は黒山の人だかりである。
子供を連れた家族連れも多い。(主に興奮しているのはお父さん)
外国人の姿もチラホラ。
そんな人ごみにまみれ木立を抜けると忽然とガンダムは現れた。
白いステテコのオッサンに見えた人影は、やはりそびえ立つ18mの巨大ロボットであった。
少年の頃、シンナーくさい部屋の中で指先を塗料とセメダインまみれにして作った1/144スケールのガンダム。
僕は夢中でシャッターを切った。
ふいに目頭が熱くなった。
これは1/1のプラモデルではない、「本物」なのだ。
もちろん頭ではこの巨大なロボットがほとんど動かない1/1のプラモデルだと理解している。
装甲の隅々にまで施された注意書き、動かないはずの指先、ひじ、くるぶし、ひざなど関節部分の精密感、工作技術の高さを伺わせるエッジの鋭さ。
必死で現実たらんとするそれらのディテールは、18メートルの巨体とともに、見るものに圧倒的な説得力を持って押し寄せる。
たとえばペコペコのFRPで作られたハリボテ丸出しのガンダムならばどうだろう?
たとえば高さ3メートルならどうだろう?
それはこんな説得力を持っていたろうか?
ハリボテだからこそ必要だった18メートルの体躯と、執拗なまでのリアリズム。
それは荒唐無稽になりがちなヒーローものだからこそ必要なやけっぱちなリアリズムなのだ。
ふと気がついた。
やけっぱちリアリズム。
それはヒーロー映画を「お子様向け」から「大人の鑑賞」に耐える作品に昇華させる重要な鍵ではないのか。
「わかったで、ガンダム」
青空にそびえたつ雄姿に別れを告げ、駐車場に向かってきびすを返しながら、僕は「拳銃と目玉焼」の鉄仮面ヒーローのスーツの材質や、動力の伝達方式、関節自由度についてより現実的な考察を始めたのだった。
カメラマンは悩む。悩むのだ〜っ!
僕はビデオ屋の傍ら、イベントの演出やプロデュースの仕事をしている。
イベントのプログラムの中で上映されるショートムービーを製作する事もしばしばである。
このような作品はコストと時間の制約が大変厳しく、僕はこれまで撮影時の取り回しを重要視し、自主映画ではおなじみのPanasonic DVX100Aのマルチカム体制での製作を選択してきた。
昨年末のことである。
一台の一眼レフカメラの登場が注目を集めた。
たった30万円のスチルカメラの動画機能が、劇場作品に使用される数千万円のカメラの映像に匹敵する品質を持つと言うのだ。
にわかに信じがたいその事実は、もはや事件であった。
撮像素子の小さなビデオカメラがどうしても表現できなかった被写界深度の浅い映像を、そのカメラは可能にした。
名をCanon 5DMark2と言う。(1920×1080)
実は先立ってNikon D90と言う一眼レフがあった。
このカメラが世界で始めて動画機能を搭載した一眼レフであった。(720P)
実はこのカメラを発売日に買っていた。
しかし、その動画画質は撮像素子にCMOSを使用したからと言う言い訳だけでは済まされない冗談みたいな動体ひずみ。
ワイド側でもちょっとカメラを振ると画面に映し出された全てが軟体動物のようにクニャクニャにゆれるコンニャク製造機。
浅い被写界深度の魅力も吹っ飛ぶ、驚愕の映像体験であった。
動画をやってないNikonと言うメーカーの弱みを見た気がした。
さて、ビデオカメラで被写界深度の浅い映像を得るためには、スチルカメラのレンズを利用できるようにするDOFアダプターと言う機材があった。
しかし、DOFアダプター内部の半透明のスクリーンに投影された映像をビデオカメラのレンズで撮影するという構造上、得られる映像はどうしても霧のかかったようなものであった。
一眼レフカメラで得られる映像は、レンズを通った光をダイレクトに記録できる点でDOFアダプターにはないクリアな映像と美しいボケが得られるのである。
そんなCanon 5DMark2は約30万円、そして若干実力は劣るもの小型で使いよいPanasonic GH1にいたっては15万円以下で手に入る。
僕はこの両者を早速手に入れ、
様々なテストを繰り返してみた。素晴らしかった。
そこに映し出されたのは夢にまで見た透明感と柔らかなボケ味、スチル写真のように繊細で、独特の存在感をもつ世界であった。
関西弁で言うと「えげつない画」である。
またCMOS撮像素子に起因する動体歪みも実用になるレベルに抑えられている。(AEのプラグインではこの動体歪みを補正するプラグインも発売されている)
とあるVPの仕事ではPanasonicの大型業務用カメラのHPX555とPanasonic GH1の映像を実際に見ていただき、GH1を選ばれて仕事に使った事もあった。
またイベント用のPVふうのイメージ映像はCanon 5DMark2で撮影した。
どちらも浅い被写界深度を生かしたクオリティーの高い映像が得られ、お客さんにも大変満足して頂いた。
「次は是非映画で使いたい!」
と、僕の鼻息も荒くなるのであった。
そんなこの夏、35分尺のボクシングもののショートムービーを撮影することになった。
8/16に開催されるイベントのスペシャルムービーとしての製作であった。
これまでにもまして大掛かりな作品で、内容に比べて予算が少なく、仕事として請け負ってもほぼ利益が出ない。
それならばと主催者側のボランティアスタッフの有志と映画研究会を設立し、イベント用だけでなく一般の鑑賞にも堪え世の映画祭に出品できる作品を作ろうと言う事になった。
こうしてまた僕はますます「儲ける」と言うシステムから離れていくのである。
そんな訳で、すわ5DMark2か、GH1かと一眼レフカメラの出番だと意気込んだのである。
しかし、ここで予算以上に切実な問題として浮上してきたのが製作日数の問題であった。
この作品は8/1にクランクインし、8/6にクランクアップ。
8/7から編集を始めて8/13には完成させなければ、8/16のイベント当日に間に合わない。
もちろんイベントそのものの準備やリハーサルにも演出として、出張らねばならね。
と言う、なんだかもうあせりまくりの夏の午後なのである。
これは僕とプロデューサが拘った役者さんのスケジュールとロケ地の問題がほとんどと、僕の書くシナリオがギリギリだった事ちょっとが原因である。
7/27に都内でオーディションを行い一旦京都にもどり、映画の撮影とイベントの中継用の機材を満載したバンを運転して池袋の安宿に、音声マンとともに半月の宿の人となった。
そんな7/31、僕は激しく悩んでいたのである。
今後ブラック・インディ!作品の撮影の上でも、重要な撮影機会に臨んで僕は一眼レフカメラで撮影するか、ビデオカメラで撮影するかを決めかねていたのである。
物語の大半を占める新木場のボクシング会場のシーンを唯一スケジュールの合う8/2の夕方から翌日昼までの18時間で撮り上げねばならぬ。
そしてこのシーンにはわざわざ新潟からバスを連ねて150人もの観客役のエキストラの皆さんがお越しになるのだ。
問題は次の二点である。
一、一眼レフ一台で18時間のうちに必要なカットを撮影できるか?
二、撮影を楽しみにボランティアのエキストラ皆さんが、一眼レフの小さな筐体を見てテンションが下がらないか?
実は、5DMark2をPVふう作品の撮影に使った時、業務用ビデオカメラで撮影するのに比べ約三倍の時間がかかったのである。
これは最適な露出、構図、SS(シャッタースピード)を得るためにNDフィルターを装着したり、レンズ交換を頻繁に行わねばならない事と、動画専用でない筺体の扱いにくさから、カメラマンのオペレーションNGが増えた結果であった。
特に浅い被写界深度によって得られた美しいボケの代償に被写体のピントをフォローするのは至難の業で、ドリーを使用したトラックインでは度重なるカメラマンNGのため、フォローフォーカスではなくフォーカスインのカットに変更した。
(5DMark2は動画撮影時はMFで使用せねばならず、ピントリングを約一ミリ動かすと実際のピントの合う範囲は1メートル程度も移動してしまう。
そのためとても繊細なオペレートが必要。フォローフォーカスのためのガジェットは必須だと痛感した。)
編集期間の短さを考慮するとSDで上映される作品のためにH264の素材をSDに変換する時間も問題となった。
また、150人のエキストラの皆さんに小さな一眼レフカメラの映像が実はすばらしいものであると、説明するのもなんだかスマートではないような気がした。
2/3インチの大型業務用ビデオカメラの醸し出す本物感は、エキストラのテンションを上げるためには重要な演出的要素となる。
そんなわけでさんざん悩んだ結果、音声マンの「やっぱビデオカメラで確実に行きましょう」との一言もあり、僕はPnasonicの大型業務用ビデオカメラHPX555を二台使用して撮影する方法を選んだ。
HPX555にしてみれば、ブライダルや幼稚園の発表会、イベントの中継収録用として使われてきた僕のキャリアの中で初めての映画撮影での出番となった。(SD作品なので記録設定を16:9 48O 30Pとした。)
いざ撮影に臨んでみると、扱いやすさと信頼感は流石の業務用ビデオである。
音声のモニタリングもできない5DMark2とは比ぶべくもない安心感。
一眼レフのボケには及ばないものの、望遠側を使えば背景が程よい感じにぼけるのは何をやってもパンフォーカスのDVX100AやHVX200、HPX175などの1/3インチカメラIにはできない芸当だ。(ステディカム用としてHPX175は使用した)
よくよく考えると、ボケを多用するPVと違って映画はそんなにボケボケではない。(特に広い画)
テレビのドラマっぽいと言ってしまえばそれまでだが、ドラマで多用されるインターレース映像ではなく、24Pとシネライクガンマを併用すれば邦画の劇場作品程度のクオリティーは充分だせると思った。(と言うか低予算の邦画ではHPX555は実際使われているらしい。ただし720P。)
僕が選んだのは2/3インチの業務用ビデオカメラHPX555であった。
結論から言うとこの選択は今回の撮影には大正解だった。
18時間徹夜ぶっ通しのボクンシグの試合シーンも業務用カメラ二台が大活躍し、扱いやすさと絶大な信頼感でトラブルなく全カット(おそらく100以上)を無事撮影できた。
これは一眼レフカメラでは絶対にできなかったと思う。
夜間の街中でのロケ、室内シーンでは2/3インチの感度は多大な威力を発揮した。
(補助的なライティングは必要だが、夜の繁華街の自然光がベース光として充分生かせる)
連日ボランティアのスタッフの皆さんが駆けつけてくださり、埼玉、東京、千葉を行ったり来たりして、僕たちはなんとか8/6にとりあえずクランクアップできた。(その後ホテルで編集しながら、追撮。試合シーンの実況もナレーション録音用マイクセットを待ちこんでホテルの部屋で収録。試合の打撃の効果音はホテルのベッドと椅子を殴った音を使った)
唯一の外出は夕方のインドカレー(五日連続)のみと言う平均睡眠時間2時間の日々の末、映画は完成し、そして無事上映された。
よくやったHPX555である。
このカメラでなければ今回の過密スケジュールの中で映画の完成はなかっただろうと思う。
現場での取りまわしの良さはスピード感のある撮影を可能にし、2/3インチのレンズは思惑通りのボケ具合で1/3インチとは違う品位の高い映像を見せてくれた。
「拳銃と目玉焼」撮影カメラとして一歩リードなのだ。
もちろん一眼レフカメラによる撮影の可能性も捨てた訳ではない。
近くフォローフォーカス用のガジェットを導入しテスト予定である。
地方の町のビデオ屋がハリウッド作品並の映像クオリティーを出したらさぞ痛快だと思う。
現場でビデオカメラ並のスピード感ある撮影ができる可能性があるのか、ないのか。
クランクイン寸前まで、一眼レフカメラを巡る試行錯誤はまだまだ続けようと思う。
カメラマンとしての僕は、一見フラフラしているように見えるかも知れない。
しかし「クオリティーの高い映像を撮る」と言う一点に向かって寸分のブレもなく前進しているのだあった。
だけどね、32Gで15万円もするPanasonicのP2カードには心が折れそうになる僕なのですよ。
(現在は64Gで10万円程度のP2カードEシリーズも発売されている。)
おとまりほいく
幼稚園のおとまりほいくの撮影に行って来た。
僕の仕事は街のビデオ屋さんである。
バレエ、演劇などのイベント収録や中継、製品紹介などの企業ビデオ、個人や企業の自伝ドラマ、ブライダル、ショートムービー、CG。
持ち込まれる多様な撮影、映像製作依頼をほとんど断らず、あらゆる撮影に対応できるように機材ばっかり買っていたら、業務用カメラ7台をはじめ、ブームマイクやミキサーなどの音声収録機材、スイッチャーやプロジェクターなどの中継機材、リファーからバッテラまでの照明機材、クレーン、ジブ、ドリー、ステディカムなどの移動撮影用機材、はては空撮用のジャイロ式スタビライザーまで自社保有するまでになってしまった。
念のために書いておくが、我が社のカメラマンは僕ひとりである。
なのであきらかに個別の機材の使用頻度が少ない。極端に。
先日10年使用したソニー製の業務用カメラを売却したらアワーメーターが250時間であった。
同型カメラが中古市場において1500時間使用程度のものが「美品」として取引されているのにである。
1年に25時間しか使用されない業務用カメラは、正しい企業の持つ「採算」という概念に真っ向から勝負する我が社の経営態度の象徴であった。
趣味から始まった仕事が、一周回ってまた趣味に戻ってきてしまっている。
さて、話は「おとまりほいく」である。
この幼稚園のビデオ撮影をするようになって約10年。
おとまりほいく、発表会、卒園式。
節目のイベントごとに足を運ぶ。
生活発表会や卒園式など舞台で進行する行事を収録する際は、ショルダータイプの大型業務用カメラを三脚に据えて撮影しているが、おとまりほいくの撮影には専らハンディタイプの小型の業務用機を使用している。
そこらじゅうで子供が暴れまわっている状況では、カメラマンの視界の一部が遮られる肩乗せ式の大型カメラだと衝突などの事故が心配である。
かと言って、つっ立ったまま望遠側ばかりで撮った画では被写体の子供の声が撮れない。
小型業務用機なら機動性が高く、子供たちの中にも積極的に入っていけ、近くから撮ることで迫力のある画と、何よりも被写体本人の「声」を収録できる。
記録としての映像と音声は不可分である。
被写体のすぐそばにあるレンズとマイクは、彼らの行動と思考を記録できるのだ。
もうひとつこのような撮影に重宝するのがフィグリグという機材。
移動撮影をスムーズにしてくれる機材である。
とっさのコントロールが難しく長時間使用が辛いステディカムより操作が容易で、走り回る園児を追いかけても手ぶれを軽減した上に自由にカメラを振る事ができる。
おとまりほいくの撮影で大活躍する機材である。
幼稚園の仕事に行くと僕は大人気である。
「カメラマ〜ン、カメラマ〜ン」と子供たちが始終まとわりついてくる。
ウルトラマン、アンパンマン、たこ焼きマントマン。
子供たちは「なんとかマン」が大好きなのだ。
「そうだ!僕の映画のヒーローにも○○マンと言う名前を付けよう!」
自動車のステアリングのようなフィグリグを握りながら僕はそう閃いたのだった。
子供向きの映画でもないのに…。
コラージュ遊び
キーボードを打つ音がやんだ。
ストーリー展開の分岐点。
話をどう転がすか。
アイデアメモを横目に唸ってみたものの、判断に迷う。
こんな時は息抜きである。
物語に登場するヒーローを色んな画像をコラージュして作ってみた。
そういえば以前、ブラック・インディ!事務局から「サイトのイメージ画像を提出して欲しい」との要望があった。
突発的な状況への対応能力を試されているのだろうか、事務局の要望はいつも突然で、しかも締め切りまでの時間的余裕がない。
シナリオが固まっていない段階でイメージ画像もへったくれもないのだが、どんな状況でも答えを出すのがオッサンのしぶといところ。
僕は物語のワンシーンのイメージを鉛筆でサササっと描いて提出した。
それが「拳銃と目玉焼」のトップページにある鉛筆画である。
たった五分で描かれた鉛筆画はしかし、望外にインスピーレーションを与えてくれた。
主人公の苦しみや喜び、ヒロインの涙、悪役との壮絶なバトル。
物語が一枚の絵を手かがりに紡がれてゆく。
子供の頃、おもちゃのロボット同士を左右の手に戦わせていると頭の中で勝手なストーリーを膨らませ、ガシャーンとかドカーンとかの擬音が聞こえてきて、身長10センチのソフトビニールの人形に55トンの重みを感じていたあの感覚に似ている。
想像の扉は絵や音楽、そして遊び、没頭し夢中になれる時間に開かれるのかな。
シナリオ執筆の袋小路で小一時間、僕はストーリーの事など忘れて画像を切り貼りする遊びに没頭した。
出来上がったヒーローのイメージ画像を眺めていると
「早くシナリオ書いてください」
と、緑の目で睨まれた気がした。
おっさんは語り合う
夕方6時。
東京から夢成さんが来てくれた。
場所は京都伏見の僕の仕事場。
氏の来訪直前にバケツをひっくり返したような大雨と雷。
雷光を背負って夢成さんは現れた。
「みんなをびっくりさせたいねん」
「すっごい事になるで」
言葉の端々から夢成さんのプロジェクトにかける熱い思いが伝わってくる。
それは単にやみくもな感情の暴走ではでなく「タワシのように映画を売る」夢成さんの巧妙な戦略に裏打ちされたヴィジョンであった。
僕は自身の映画に対する想いを語った。
氏は「それでええねん、それでええねん」と背中を押してくれる。
仕事で様々な映像やイベントを創ってきた僕には、作品の度に仕事を依頼するプロのスタッフや、イベントの主催団体から現場に駆けつけてくれる手弁当のスタッフは大勢いても、日常的に自主映画を一緒に創っている仲間はいない。
今回の映画製作ではスタッフやキャストにもある程度のリスクを背負わせてしまうゆえに、自分が「これだ!」と思うまでは気軽に人は集められないという思いがある。
そんな思考は僕に「企画を深める」という孤独な作業を強いる。
そしてそれは「これでいいのか」という自問と疑問を繰り返す日々だ。
氏との語らいは、そんな脳内での七転八倒を繰り返す僕の方向性に明確さと自信を与えてくれた。
夢成さんが言った。
「俺は自分らが創った映画を命がけで売ったる!だから自分らも命がけで映画を創ってくれ!」
その言葉が僕を貫いた。
ちょっとウルっとなった。
「この人になら本気で託せる、僕も命がけで映画を創ろう。」
と思った。
雨上がりの中書島は夜9時をまわっていた。
初 心
自分が見たい映画を撮る。
普段、お客さん(クライアント)の要望に応えるべく映像を創ってきました。
まずお客さんとじっくり話し合い、
何を、どういうふうに、誰に、伝えたいのかを明確にします。
明確になったターゲットにむけて映像を通してメッセージを送る。
それが僕の「ビデオ屋」としての仕事です。
では「映画」を撮ろうとする時、
それはどんな人々に向けて創られるべきなのでしょう?
「ブラック・インディ!」参戦の機会を得たのち、
僕はその事をずっと考えていました。
お客さんの目的や要望に沿って映像を創ってきた僕には、
お客さんの「想い」を演出や撮影技術、
編集によって効果的に表現する経験はあっても、
製作の出発点となる「想い」を自ら認める作業には不慣れであったのです。
映画を創りたい意欲はあるのに、どんな映画を創ればいいのかわからない。
悩んだ末に見つけた答えは
「観客としての自分をクライアントにする」と言うものでした。
自分が観客しとてワクワクし、笑い、涙し、そして感動する。
自分が見たい映画を撮る。
それが僕の映画創りへの「想い」、出発点です。
この先も僕は迷い、悩み、混乱すると思います。
そんな時、僕が帰るべき場所はここです。
自分の見たい映画を撮る。
いつもルールの中での製作をしてきた僕が、
自由というフィールドを与えられ、
戸惑いまくった挙句に見出した平凡な着地点。
ほんとにもう、不惑なのに。